数学者「2×3×4とか平気で書くヤツ馬鹿なの?死ぬの?」

僕は大学院まで数学を専攻していたので、数学者について聞かれたり、
数学者について自分から話すことが時々ある。
その時、数学者とは何者かという問いに対して、僕は大体こんな答え方をする。

『2×3×4って何?と思う人たち』

意味がわからなすぎて発狂した読者に殺されかねない。意図を解説させていただきたい。

2×3×4はいくつかと聞かれたら、普通の人間ならしばらく考えて24と答える。
もちろん数学者だってなけなしの社会性を振り絞って24と答えるだろう。
ただ内心では『2×3×4?お前何言ってんのか全然わかんねーんだけど』
と思っている可能性がある。正確に言えば
『えー、実数体や整数環は掛け算に関して結合則を満たすことを前提とし、(a×b)×cと
a×(b×c)を共にa×b×cと表記することを許容するのであれば24ということになるのだが、
君の問いはそう解釈して本当によかったのかね?違えば説明していただけんかね』
ということになる。


今、数学者は頭がおかしいと思った人はこれを持って正常な思考回路をしていると認定してよい。
ここまでくると発狂しなかった読者にも殺されかねない。

でもよく考えてみてほしい。ここで問題になっているのは以下のようなことだ。

掛け算は2つの数に定義されている計算のはずだが、(2×3)×4と2×(3×4)のどちらについて
聞いているのだろう?また、いずれも等しいからあえてカッコを省略しているのだとすると、
(2×3)×4=6×4と、2×(3×4)=2×12が等しいと我々はいつ知ったのだろう?

もしこれらの値が違ったら、そもそもカッコなしで2×3×4と表記するのは
一意の答えが存在せず、間違いではないかということになる。

2×3×4という表記は『証明もしていない、メカニズムも理解していない、しかし事実である等式を、
人々が当たり前に利用している、とんでもないブラックボックスの象徴』なのだ。
そんなことはどの教育過程のどんな計算の中にも無数にあるんだけれど。

別に普通にいけば考える必要なんかどこにもないし撲殺したくなるほど面倒な人種ではあるが、
実際こういう理解をしていないと研究としての数学なんてとても出来ない。

ちなみに偉そうなことを言うと、実はa×bとb×aが等しいのも、(a×b)×cとa×(b×c)が等しいのも、
代数学に則る場合、数学的に証明するのはそんなに容易なことではないのである。

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デフォルメして書いたので、別に数学者の頭の中がずっとこうなっているというわけではない。
でもこういう考え方に代表されるような方法で思考する機会が多いし、ざっくり言うと
こんな人種である、ということだ。撲殺はしないで欲しい。