オリジナリティ、あるいは生き方みたいなことについて

今年の抱負をこないだ決めた。『自分探し』という、いやいや
その年で頭大丈夫なの?みたいなフレーズになっちゃってますが、
それについてちょっと細かく書くから、誰か読んでなんか言ってくれ!

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去年の6月から格闘技を始めた。
割とのめり込んで、今はアマチュア全国優勝が目標。
とはいえまだ実戦経験足りなくて、どの程度でどこまで行けるのか計れてないのが現状ではあるんだけど。
スポーツは、割と昔から好きで頑張ってきた。でもあまり得意でないとも思う。

うちのジムには、北海道から仕事で出張に来た時だけ(とはいえ月に一度以上のペースだが)
顔を出してくれる人がいて、元々プロのスパーリング相手とかをずっとしてきた人で、
なんなら軽くみんなのコーチをしてくれてる感じ。
初試合の前にも、それから後ちょっとずつ強くなっていくのにも、
ミットやらマスボクシングやら色々とすごくお世話になってる。

その人と二人で飲む機会が一回あった。
突然だったような気がするんだけど、強くなりたいですか?と訊かれた。
そりゃあなりたいっす。プロとか目指してるんですか?
いやプロとかはわかんないですけど、アマチュアで優勝したいです。
そんなやりとりの最中にふと彼は言い出した。
『一度ミットを持てば、強くなるかどうかは大体わかるんですよ。
あなたは多分、強くなります。』
すごく嬉しかった。どのくらい強くなるって言ってんのかわかんないけど、
嘘じゃなく言ってるんだなと思ったしね。
『だけど一つだけ言えることが、』
彼は続けた。
『僕が蹴りを、こうだと教えてる時に、あなたは一発一発蹴りながら、
違う、なんで出来ないんだろう?という顔をしますよね?』
はい。
『それって違うんですよ。僕はずっと格闘技をやってきて、僕の思う一つの型があって、
それについて言ってるだけなんですよ。』
なるほど確かに。
『だから、「自分の場合であればこうする」と思いながら
やっていくと良くなると思いますね。』

この一言に僕はやられた。もう本当にやられた。
あまりにもその通りすぎるし、当たり前すぎる事で、字面にしてみると、
本当に凄いこと言われたっていう実感値と合わないんだけど。

自分はこういう風な動作で生きてきて骨格はこうなってる。だからこういう選手を目指してる。
そしたら飽くまで僕が打ちたい蹴りの理想像は既にあって、でも自分よりも熟練者がまた、別の
イメージを持ってる、そんな状態。決めるのは自分でしかない。
一旦相手の言ってる蹴りをやってみて、実際取り入れるべきかどうかを考える。
自分の理想と比較して、理想像を更新するかどうかを考える。
理想に近づいた蹴りが出来た。でも相手は違うことを思ってるらしい。
どんなに強い人でもみんな教えることってほんとに全然違うから、
基本的な理論はあるけど全く違うことを言う。でもそれぞれがちゃんと利点を持ってるし、
自分にマッチするかどうかは自分で判断するしかない。
自問してみた。それ考えて練習やってる?
教えられた蹴りの形が上手く出来ないことだけで頭いっぱいになってない?

いや超なってるわ。。。

いや、前のスポーツやってた時と違って、ある程度なりたい像を考えながら練習やれてる。
やれてると思ってた。サンドバッグ叩いてる時は。
全然違う。より実戦的な状態に近づけば近づくほど意識しないといけないことで、
全体的な動きの中で、結局自分はどういう攻撃を繰り出すか、どうやってガードするか、
避けるか、コンセプトを固めて、頭使ってやってかなきゃ、才能も無い、経験もない
自分がちゃんと思うように強くなってくわけない。

結局これは格闘技もクソもなく、何についても同じだ。
どうやって仕事をするのか?どのように人付き合いをするのか?どうやって生きていくのか?
その時その時、『みんなはこうしてて、これがいいと思ってる人がいて、多くの人はこうだ。でも自分だからこうする』って
【オリジナリティ込みでのベスト】をずっと状況に応じて決め続けていかなきゃならない。
自分は友達と会社やってて、でも大企業のサラリーマンでもあって、何故か格闘技に本気になってて。
全然間違ってないなって思う。俺そういう奴だもん。
でもやっぱ時々迷う時とかってどうしてもある。あれ、なんかおかしくね?ってなる。
その時にいややっぱ俺のやり方はこうだよって、間違ってないって、言えなきゃダメだわ。
そういったこと全てをズバーンとストレートに差し込まれた感じがして、いや本人はそんな
つもりで言ったんじゃないかもしれないけど、とにかくそれ以来毎日考えてた。

自分が自分として進むべき方向。そんなものは僕のアイデンティティが、これまで
生きてきた軌跡が、ある程度のところまで決めてしまってる。
それに逆らって人の真似をすることは出来ないし、する必要がない。
そんなの当たり前だし、そうやって生きてきたつもりだった。
でも振り返ってみれば、僕は何をどうして生きていいのか、
全然わからずに目の前のことを見て、なんか目移りして、いいものはいいし、
ダサいもんはダサいし、でも俺ってどうしようってわかんなかった。
自分のオリジナリティを含めてこうなろうっていうのが全然無かった。
カッコイイやつはカッコイイな〜。俺もそんな風になりたいな〜って思ってるだけだった。

別に人生を計画しないのだって僕の性質の一つと考えて良いと思うし、
そこまで何かが厳密には決まらなくて、ちょっと行き当たりばったりでいい。
でも、例えば僕が周囲の人にどんな誠意を、僕なりに尽くしていくのか。
物事を総じてどんな風に捉えながら次の選択を、僕なりにしていくのか。
そういったことは、変えられないことでは無いはずだけど、基本的な部分はある程度決まってる。
何かあっちの方がかっこいいんじゃないかとか、なんとなく人のことも羨ましいとか、
そういうことをしてても全然ダメで。ほんと当たり前なんだけど、そんなんじゃ話にならなくて。
俺がやれることなんて、大きさは別として、方向性は大体決まってんじゃん。
いや、でもそれって最高だ。面白い。だってそれ込みで考えたら、
俺って人より面白いことするに決まってるって結論にしかならない。やった!

人と比べてこんなことに気付くのがすごく遅いのだと思う。でも色んなことに整理をつけて、そもそも自分は何者で、
自分はどうやって生きるしかなくて、今どの仕事に、あるいは趣味に、あるいは人との触れ合いに、
どんな力を割いていくのか。改めて一つ一つ定義していきたい。
それが、『自分探し』で、今年の抱負なのでした。

2014年、あけましておめでとうございます。
全力で駆け抜けます!みたいなこと言うタイプじゃないんだけど、
今年は結果的にそんな風になるのかもしれない感じがしてます。
そんな柿添をまた一年間楽しく見守っていただければと思ってます。
それでは皆様、2013年本当に色々な人にお世話になりましたが、
また迷惑とか普通にかけてくんで、2014年も、どうぞよろしくお願いします!