はあちゅう氏の炎上と『リア充爆発しろ』について

今回、はあちゅうこと伊藤春香さんの炎上についてですが、諸々なるほどなあと思ったので
出遅れながらも整理して考えてみました。その一部を書いてみようと思います。


設定

まず、恋愛市場における強弱を、(一旦性的マイノリティの方については別として)
『パートナーとマッチングする機会の多さ』で分けてみます。
今回の騒動を見ているとこれ自体がハラスメントを助長する序列付けだといった声が
聞こえてきそうですが、客観的なパラメータとして見つけやすさみたいなものは想定可能でしょう。
そこに人間としての勝ち負け云々といった別の観点は差し挟まれていないものであることを強調しておきます。

シンプルに上図のように、1-4に象限を分けてみたとしましょう。

まず、はあちゅう氏がどこに属するかについて、これは端的に1でしょう。
恐らく彼女を3であると主張したい層が各象限に存在すると思われますが、
単純に数で線を引くなら当然1に入る、と考えます。

さて、今回のMeToo運動の全体像は、もちろんどこからどこに向けた
ハラスメントを告発してもよいのですが、恐らく女性から男性の
ハラスメントが告発されるケースが割と多く、読者側も(心持ちとしては)
そのような想定で読んでいるように思われます。
ただ、異性へのハラスメントは恋愛市場における強弱とは関係なく、
仕事上のポジションであるとか肉体的優位性であるとか、
様々なものを背景に行われるものであり、結果的に告発は1及び3から2及び4へ、
という全方位的なベクトルで行われているものと思われます。
(もちろん4から2などのケースも実際には存在しています)


童貞いじりという行為

そして次にはあちゅう氏による『童貞いじり』と呼ばれている行為について
なのですが、これは明白に被害者が4です。
「1及び2及び3からの4へ向けたハラスメントを1に属するはあちゅうが推進している形である」
と4あるいはその権利を主張する側が糾弾しているわけです。

ちなみにこのような図が反響を呼んでいましたが、

[引用元] https://twitter.com/spartacusjp/status/942756416145711104


『ある側面においては』正しいと言えるでしょう。

このようなピラミッドを想像しやすい要因は
恋愛市場の以下の3つの特徴などによるものだと考えます。

1.女性より男性の方が複数のパートナーを持とうとする傾向にあるため、
  『経験』という意味で言えば?の象限の人が最もあぶれやすい(未経験者の実数の多さ)

2.男性から女性へのハラスメントが顕著で取り上げられやすく、その陰に隠れて
  女性から男性、男性から男性へのハラスメントが堂々と発生するシーンが相対的に
  多くなっている(未経験者のハラスメントに遭う確率の高さ1)

3.男性と女性の恋愛市場での価値決定パラメータの違いにより、女性側では未経験であることが
  有利に働くこともあるが、男性のそれについては、価値を引き下げる方向に働くことが多く、
  それをもとに中傷やマウントなどの現象が発生しやすい(未経験者のハラスメントに遭う確率の高さ2)


ポリティカルコレクトネス?

さて、問題はここから大きく発展し、『ポリコレ棒問題』とでも呼ぶべき様相を呈してきております。

めいろまさんや渡辺由佳里さんを巻き込んで大きく人権問題として扱われての
騒動と今回なっているわけですが、はあちゅう氏の童貞いじりを批判するのは
もはや言葉狩りなのではないかと。また、これは被害者いじめに当たるのではないかと
いう言説がこれまた存在します。


被害者いじめ

まず『被害者いじめ』という言説が発生する理由はこうです。
基本的にはあちゅうさんを叩いている各層は、多くが
『被害に遭った事実はかわいそうだし告発は勇気ある行為だが、それとは別に』と言っています。
これをもって被害者いじめではない、飽くまで分けて考えている、という主張です。
なるほど本人たちも本当にそう思っていそうです。

しかし、はあちゅう氏サイドからすれば、『被害に遭った人間が攻撃される構造』そのもの
に言及したい。ついでに、『批判している側の精神性にはそういう構造が根付いている』という
方法で反はあちゅう側をバッシングしたり、はあちゅう氏への慰めをなげかけたりする勢も現れます。
よっぴー氏の(後に謝罪されましたが)今は黙ってろ発言とか、はあちゅう氏のファンが
「嫉妬しているだけなので気にしない方がいいですよ」とかいった内容はこちらに当たると思われます。


言葉狩り

さて、次に言葉狩りだというのはどういうことでしょう。

今回童貞いじりに憤っている層の主張は例えば以下のようなものです。

「童貞を愛をもっていじっているのでこれはセクハラではない」
という考え方はセクハラ男の考え方と同じだ

ということです。これは世間に発生しているセクハラを、悪気なく、愛を持って行っていると思い、
また主張する、しかし相手は精神的苦痛を負っているというケースが多いことを考えると、
構造上非常に正しい主張であると言えます。
確かに受けた側が苦痛を感じていることそのものは今回についてもひとまず事実でしょう。

しかし、この論理をそのまま転用していくと何が起きるのか?

恐らく渡辺由佳里氏の主張から更に極論すれば、テレビ番組でモテ系コンテンツを出せば
「モテ至上主義の序列を作り米国のレイプ文化を助長している」ことになるかもしれないし、
テレビで芸人さんが「25まで童貞でむっちゃ死にたかったんですよ」と言えばめいろま氏の
ブログを引用して「勝ち組負け組の価値観だ!」とバッシングを受けるかもしれない。
(お二人が本当にそのように主張すると思っているわけではありません)


リア充爆発しろ』

これは興味深い状況ですね。個人的に気になっているのが例えば『リア充爆発しろ』というフレーズです。

例えば現在まさにクリスマス直前であり、TLから多くの
リア充爆発しろ』という言葉が聞こえてきたりするわけです。

ちなみにリア充爆発しろという言葉は、全ての象限の人間から1と2に向けられている言葉です。
1と2の人たちは往々にして自分は3と4に属すると主張しがちだからです。

しかしひょっとすると

『友達から聞いてTwitterを開いてリア充って言葉で検索してみたら、
 爆発しろってめちゃくちゃ沢山書かれてるんです・・・
 毎年彼女とささやかなクリスマスを楽しんでいるだけの僕のことを
 そんな風に思う人がたくさんいるなんて、これからクリスマスは安心して街を歩けません・・・』

というリア充高校生がいてもおかしくない。彼の人権は守られるべきではないでしょうか。

童貞いじりは確かにマウントの要素を含んでいますが、リア充爆発しろは脅迫の要素を含んでいるとも言える。


まとめ

しかしどうも、

・童貞いじり、と言われる行為の「全般」
・伊藤氏が嫌だと公言するタイムライン上の『おっぱい』
リア充爆発しろ

のどれもが撲滅されるべきだというのは、それはそれで中々に思想統制の雰囲気を
帯びてしまっているような気がしてなりません。

しかし各々の人権は守られなければならない。どんな人の気持ちも安易に脅かされてよいものではない。
それを守るためのルールや共通認識というのはどのようなものか、非常に難しいところであります。

え、『結局お前自身の意見はなんなんだよ』って?

僕の意見は・・・・




















『いやお前ら仲良くせえよ』

以上。







目指しているのが糾弾のところまでではなくその先の
「反省する人は反省して多様な人が仲良く生きられる社会」
だとすれば、糾弾にもまた、どこかには思いやりが必要だと考えるからです。

ま、それぞれの私怨があるわけで、そんな簡単にいきゃ苦労しないんすけどね。

長文失礼致しました。