25歳と大学院、会社を興すことの関係について

25歳の誕生日に、ブログを開設しようと思い立ちました。第一回目の投稿です。今後ともよろしくお願いします。

僕は現在大学院修士二年生、数学を専攻していて、今年1月に友人たちとスタートさせた会社を曲がりなりにもやっています。春には東京に出て会社勤めをしながら、自分の会社も東京にうつしてしばらく両輪で続けていくつもりでいます。色んな立場の人に色んなことを言われますが、そういうことに決めました。

25歳になってすぐ、親友から電話があり、しばらく話をしました。その中で25歳という年齢について少し語りました。彼も来月で25歳になります。

25歳というと大抵の同級生は既に働いているわけです。一浪して大学院に進学でもしてない限り。少なくとも僕の一番の親友も、それと同等に仲の良い同居人も、高校は出ていないのでもう随分前から働いていることになります。

24歳から25歳になると何が変わるのか。
まず第一に、30歳という一つのラインがなんとなく見えてきます。
見えてくるということは必然的に意識するということです。
あぁ30になった時、俺何してんだろ?その頃には何か一つくらい結果が出てるのかな。
そんな風に。

大学院生というのは不思議な立場で、割と周囲からは『頭いいんだね〜』とか『えらいね〜』とか言われるわけです。まぁ社交辞令の場合と半々くらいで。

本人はというと、あ〜無責任に勝手にモラトリアム満喫してんなぁとか思うわけです。
結構社会に対して負い目を感じたりしている人もいる。僕は無神経な方なのでまだいいですが。

そういったことも含めて僕が起業した24歳、大学院二年生という年齢はどうだったのか。
個人的にはやってみて、これはもう完全に遅かったなと思っています。
さっさとやっときゃ良かったと。

バイトでちょっと稼げばどうにかなる額で始められるわけです。
元手の必要無いビジネスでいい。しばらく上手く回らなくてもいい。上手く回そうとするなら。
なんでもそうですが、やってみると見えることの範囲って半端じゃない。
やってみれば誰かが仲間になってくれる。
別にそれが成功しなくてもいいし、後で会社にも入ったらいい。でも入る前にやっといて悪いことはない。

例えばの話、会社やってみてから就活の場なんて行くと、自分の会社の規模がどんなものであれ経営というものを意識して場を見るようになります。
この人はどういう規模のどういう事業やってる会社のどういう立場で、どんな気分でこんなわけのわかんない会場に来て何も知らない学生に向けて胡散臭いことをベラベラと喋ってるのか。
以前からそこそこ見えていると思っていたことが何の厚みもないペラッペラの推論だったことがわかります。これが社会に出てみたり会社が大きくなるとまた今に対して同じことを思うんでしょうが、少なくとも僕が実感した随分大きな違いです。
あ、でも就活のために会社やったりしないで下さいね。最終的に人の上に立つ気がないのにそれをやるのは危険だと思います。人の裏を読む、でもそれに意味がない、ってものすごく不健全な状態だし、それで自分の上に一生人がいて不自由だったら病みますよ。
就活のためにやっててもそこまで行かないという気はしますけど。

あとはコンビニ行ってもなんでこんなもんが売れるのかとか、そこらへん歩いててもこういう家に住んでる人は何が欲しいのかな〜とか思ったり。そういうミクロなところから、政治ニュースやら同業以外でも会社の吸収合併やら見て次はどっからどこに金が流れて、誰がどう動くのかとか大きい流れとかも意識したりします。世界の見え方が変わるってすごいことですよね。そこから先の人生別物だなぁと。



何か実のあること書こうかなとか最初は思ってたんですけど、いきなりやっても無理ですねw
ゆっくり続けながら色々書いていこうと思います。


それでは25歳になった僕をよろしく。